知っていらっしゃる方も多いとは思いますが、
改めてボリビアのスペシャルティコーヒーの流れをまとめてみました。



ボリビアのスペシャルティコーヒー。
2010年以前のほうが良く耳にしていたかもしれません。
というのも、過去2004年から2009年までCOEを開催していたボリビア。
現在は残念ながらCOEが開催されていません。
それには政治的な影響が深く関わっています。

ざっくりとしたボリビア情勢を振り返ってみますと、転機は2006年。
当時、反政府を掲げ社会主義運動党・先住民指導者だったエボ・モラレス氏が大統領に就任します。
就任後、党が掲げていた方針でもある先住民の権利拡大、地方分権推進、農地改革、
土地所有制、天然資源の国有化などを盛り込んだ新憲法が2009年に発布、同年12月より実施されます。
また、これに伴いボリビア共和国は、ボリビア多民族国と名称を変えます。

さて、こうした国内情勢の変革の中、従来の外交姿勢であった近隣諸国や
米国をはじめとする先進諸国との関係強化を図る路線も変わっていきました。
次第に中国やロシアなど新たなパートナーへ路線転換。
とりわけ、対米関係は2008年9月の米国大使への国外退去命令に始まる一連の出来事から、
緊張状態が続いています。

これは、駐ボリビア米国大使をペルソナ・ノン・グラータ(派遣先政府にとって好ましくない外交官)
として、国外退去を命じたという出来事。これに対し米国も中米ボリビア大使へ同様の措置を講じます。
また、アメリカは直後にアンデス貿易特恵法(ATPA)及びアンデス貿易促進・麻薬根絶法(ATPDEA)
に基づく、ボリビアへの関税上の特典の停止を指示しました。これ以降、両国関係は停滞しています。

スペシャルティコーヒーの生産に関しては、ボリビアでは2000年以降、アメリカ政府の経済援助が盛んに行なわれ、
小生産者にコーヒーの栽培に専念できるような環境を整えられていました。
2003年からはモクサプロジェクトのもと、各生産者組合に最新の生産処理設備を導入し、
生産者にチェリーの収穫、運搬、選別時の扱いにおける注意点などを教育。
そして生産国のロースターのカッパーを集め、最初のスペシャルティコーヒーのコンペテションは
2003年に初めて実施され、2004年よりCOEを開催していました。

しかし、上記に述べたような政治状況の中、アメリカ政府の経済援助も停止し、開催資金のめどが立たなくなり
COEを開催する事ができなくなりました。残念ではありますが、一概に良し悪しは言えません。

コーヒーを知れば政治がわかる。なんて言いますが
スペシャルティコーヒーの生産技術は、今でも非常に評価が高く
COE開催の恩恵でもあるマイクロロットでの流通が行われており
ボリビアでは毎年素晴らしいスペシャルティコーヒーが生産され続けています。